プロフィール

結婚生活や対人関係に悩みを抱えているあなたへ✨
自分の心の負担に気付き心を開放することで
本来の自分と穏やかな日常を取り戻す
母親との確執や10年間の共依存的な結婚生活を乗り越えたカウンセラーが導く
自分らしく笑顔になれるカウンセリング

一緒に笑顔になりましょう😊

三山夕貴:41歳二児の母、シングルマザー

友人や会社の同僚などから相談を受けることが多く、話すと安心すると笑顔で言って貰えるため、資格を取得したくさんの方に笑顔になって頂きたくてカウンセラーを始めました。自分自身も苦労してきたからこそ同じような悩みを抱える方の気持ち痛いほど分かります。そんな私が経験してきた一部を記載させて頂きます。

【入りたくなかった運動部】

私は小さい頃から運動神経が悪く何もできないので運動が大嫌いでした。

中学の部活を決める際の話です。

小学校でブラスバンドをやっていたので吹奏楽部に入ろうと考えていたのですが、当時仲の良かった友達にお願いをされて「運動は出来ないし」と言って断ったのですが押しに負けて渋々テニス部に入ることになりました。

もちろん運動神経が悪い私は全然上手くなれず。仲の良かった友達とペアになったのですが、いつも出来ない私にイライラしていました。

そんなある日、部活の他の子から教えて貰ったのですが『なんであいつ運動神経悪いのにテニス部入ったんだろうね』と言っていたそうです。その言葉を聞いた瞬間、だからあれほど出来ないから入りたくないと言ったのに自分が一人で嫌だから無理矢理私を誘って入れたくせにと怒りや悔しさが湧いてきました。誰にも言えず一人泣きながらノートに悔しい思いを綴っていたこと今でも忘れません

入学時もっとはっきり意思表示をしきっぱり断ることが出来ていたら・・・親や先生に相談出来ていたら・・・きっとこんなに辛い思いをしなかったと思います。

部活引退後はあまり関りもなくなり、部活以外の友達に話を聞いて貰い気分も晴れて残りの少ない中学校生活は楽しく過ごせましたが、無理はせずに嫌なものは嫌ともっとはっきり言えるようになろうと決めました。

【人生で一番長かった辛い日々】

【ある男性との出会い】

二十歳頃にある男性と出会いました。借金があり毎日お酒を大量に飲んでいたり、常識もなくよく言うダメ人間でした。

付き合って欲しいと言われましたが、喧嘩も絶えず「お前年下のくせに生意気なんだよ」等と言われたこともありしばらく悩んでいたのです。男女の関係で年齢のことを言われるのも不思議でした。

ところが生い立ちが本に出来そうなくらい壮絶で可哀想で、私が作るへたくそな料理をいつも美味しそうに食べてくれたのです。そんな男性を私が幸せにしてあげたいと思い付き合うことを決めました。

付き合ってから少しずつ直してくれたこともありましたが、相変わらず喧嘩は多く気分屋で機嫌が悪いとすぐ怒ったり話さなくなったり色々大変でした。

同棲し4年交際してる間に一度浮気もされました。会社の人と飲みに行くと言って元カノに会っていたのです。すぐに嘘を付くのですが女の勘は鋭いので違和感に気付き証拠を掴んで本人を問い詰めました。そこで言い訳や嘘を付いたらすぐに別れようと決めていましたが、土下座をし本気で謝ってきて連絡を取ることも止めると言うので今回のみと許しました。

その後浮気はなかったのですがギャンブルで借金は増え続け別れるべきか考えても考えても答えは出ず。

彼にとって私が居ないとダメだと思い込んでいましたが、当時は家を出て帰る場所もなくもうこの先ずっと愛してくれるのは彼しかいない...と、今考えると私の方が完全に依存してしまっていたのかもしれません。別れるに別れられない共依存関係が出来上がっていました。

【苦しい結婚生活】

親戚や友達の子供と優しく触れ合っている姿を見て、子供が生まれたら大事にして変わってくれるのではないかと期待し結婚しました。しかし!!結婚後妊娠し子供が生まれても全く変わってくれず、毎日大量のお酒は飲むし金遣いは荒く毎月の生活は大変でした。

私は産後リウマチが悪化し子供を抱っこするのもやっとの状態で働くことはできませんでした。生活費が足りないと私が自分の父にお願いしお金を借りていました。

給料日までまだ1週間以上もあるのに残りの生活費が1万円しかなかったある日、夫から「後輩と飲みに行くからお金をくれ」と言われました。詳しく聞くと近所の居酒屋で割り勘だとのことで、1万円札しかなかった為「これしかないんだから」と何度も説明し必ずお釣りを持ってくると約束の上仕方なく渡しました。朝起きて「お釣りは?」と聞くと「ない!全部使った!」と言われ、私はすぐに大激怒するも「後輩と行ったんだから仕方ないだろ」と逆ギレするのです。出かける前に話したのと180度違うことを言い出し、「給料日までのお金はどうするの?」と聞いても考えているフリばかりで何も答えず全く動こうとせず。その際も結局は私が父にお願いしお金を借りることになりました。

夫には県外に母親と親戚がいましたが仲たがいをして出てきたようなもので頼れる人がいなかったのです。

その頃の私は子供がいるし自分が離婚してシングルマザーになって生活していくという選択肢は全くなくて、いつか幸せな家庭に変わるだろうと信じていたのです。

そんな中、二人目を妊娠。元々兄弟は作ってあげたいと思い子供は二人産みたかったので嬉しかったです。しかし一人目の出産時は立会出産をしてくれたのですが、二人目は最初からそのつもりはなく何も言って来なかったので私も一人で産もうと決めていました。

予定日が近くなり上の子と実家で過ごしている際に陣痛が来てすぐに病院に行きました。夫に電話をすると「今日仕事休めないから生まれたら教えて」と簡単に言われ、2時間後位には第二子が誕生したため連絡をすると「早かったね!今日行けたら行くよ」と他人事のように言われました。家から病院までは車で10分もかからない距離なのに。夕方再度私から夫に連絡し渋々病院に来ましたが一切抱っこしようともせず、私の両親に無理矢理抱っこさせられた感じでした。上の子が実家で預かってくれていてもお礼の一言もなし。

それからの生活は言うまでもなく酷いまま、幸せな家庭に変わると信じることは既にできなくなっていました。何度も離婚を考えましたが身近で離婚している人はいなかったし何より子供たちから父親を奪ってはいけない、それに夫には帰る場所なんてないし私が我慢すれば済むと自分に言い聞かせ家事をしながらよく一人泣いていました

数年後、上の子の小学校入学と同時に私の実家で同居することになりました。以前からうちの両親と夫は合わないと思っていたのですが、お金がなくマイホームなど考えることもできず小さくボロボロの借家では子供達が可哀想だと思い最終手段として決めました。一緒に住んだらもう少し常識や挨拶など少なくても両親にはしてくれると考えたのです。しかし毎日の基本的な挨拶をしたりしなかったり、機嫌が悪ければ平気で顔に出す。

そんな夫に対し両親のストレスが大きくなっているのを見てるのが本当に辛くなり、自分一人なら我慢できるがこれではもう限界だとやっと目が覚めたのです

しかし引っかかってきたのはやはり子供たちのことでした。上の子がまだ小学2年生でしたが相談をすることにしました。私「ママとパパは仲悪いの見ててわかる?」上の子「うん、わかるよ」私「もうママはパパと一緒に暮らしたくないから離婚しようと思うんだけど、やっぱりパパと別々に暮らすのは嫌?」上の子「僕パパ好きじゃないから全然いいよ」と言ってくれたことにより、実際に離婚に向けて動き出しました。

夫は最初冗談だと思ったようですが私が実際に動いているのを見て焦ったようで14年間一緒にいて誕生日すらまともに覚えてくれなかったのですが、誕生日の朝起きると私の部屋のドアにブランドのネックレスと誕生日おめでとうと一枚の紙が入っていました。夫にとっては最後の悪あがきだったのかもしれませんが、なんで今更こんなことするのと涙が止まらなくなりました。私は夫からプレゼントなんていらないから毎年必ずただ一言「誕生日おめでとう」と言ってほしかったです。

親権で争ったり裁判になることもなかったのですが子供がいての離婚は手続きが本当に本当に大変でした。手続きを終えホッとはしたものの、子供の苗字が変わっていじめられないかやパパ好きじゃないと言わせてしまったのではないか、母として最低だったのではないかと罪悪感に襲われていました。上に子に「苗字変わって何か友達に言われてない?パパいなくなって大丈夫?」と聞くと、「色々聞かれるけど気にしてないし今の苗字の方がいい!ママがいればいいし、ママの笑顔が増えて嬉しい」と最高の言葉をくれたのです。しっかりした母ではなくても良い子に育ってくれたと感動しました。最後に子供に相談して離婚を決意実行し、自由になってストレスなく笑っていられる今が幸せです!!😊

このように私の結婚生活は幸せなものではなく離婚をしてしまいましたが、相手に自分の思っていることを伝えたら分かってくれて関係が改善する場合もあります。

現在も続く実母との確執

第一子長女として誕生したくさんの愛情を受けていましたが、妹が誕生し母からの愛情が全て無くなってしまいました。

私は思ったことをすぐに口に出し怒られ、妹はそんな私を見て母にこれを言ったら怒られるからやめておこうと考えて話す子でした。

母からしたら口答えをしないし顔も子役を薦められるほど可愛くて自慢の次女だったのでしょう。

姉妹喧嘩をしても私の言い分は聞いて貰えず、「お姉ちゃんなんだから」と言われたり、私が泣いていても「妹に泣かされるなんて馬鹿じゃないの」と笑われたり。

小学生の頃、母と言い争いになった際一度だけ『あんたなんて産まなきゃ良かった』と言われたことがあります。

母本人はそんなこと言ったっけと覚えていませんが、子供にとっては何よりもショックで母から完全に見放された気持ちでいっぱいでした。40歳を超えた現在も悲しすぎて忘れられない一言です。

最近では同居している私に対し「老後は妹に面倒をみてほしい」と言ってきました。妹と私は仲が良く優しくて性格もいいですが、母の面倒を見るなんて一切考えてはいません。

私は一緒に住んでいるし長女なのだから面倒を見ると決めていたので、二度も大きな絶望感を味わい膝から崩れ落ちる感覚に陥りました。

それでもやはりいくら傷付けられても母親は一人しかいないしどうしても嫌いになることはできません。現在もたくさん嫌味を言われ私も言いたいことは我慢しないので喧嘩は多いですが、母が何と言おうと実際にはしっかり責任を持って面倒を見る覚悟も出来ています。

まだまだ苦労してきたことはありますが記載はここまでにしておきます。読んで頂きありがとうございます😉

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